野球賭博問題

プロ野球黒い霧事件の影響について

影響

昭和40年代半ばに球界を揺るがせた黒い霧事件は、その後のプロ野球の変遷にもいろいろと影響しました。西鉄ライオンズの選手が複数この事件に関与したため、西鉄ライオンズは昭和30年代の栄光も地に落ちてしまいました。そしてその騒動の後は低迷が続き、最終的に西武球団が埼玉に誕生するという状態にまでなりました。

九州の地からプロ野球球団がなくなることは地元の野球ファンには寂しい限りでした。また、黒い霧事件の泥沼化で、西鉄ライオンズは多くの主力選手も抜けたため、後に球界のエースとなる当時新人の東尾修氏が若くしてエースとして活躍しました。

ただし、野球賭博の影響でムードも悪かったチームが低迷した影響で、勝ち星より負け星の多いシーズンが何年も続いた投手なのです。ただし彼はこの時に積んだ経験が晩年に生きてきます。度重なる修羅場をくぐり抜けてきた経験で、昭和50年代後半からの西武ライオンズ黄金期には貴重なベテランとして活躍しました。