野球賭博問題

黒い霧事件発覚のきっかけについて

黒い霧事件

昭和44年のシーズン中からくすぶっていたプロ野球界の黒い霧事件は、後の関係者の証言などから当時の様々な事柄が明らかになっています。違和感を感じるプレーというのは、同じチームの野球を見続けていると分かるようになるものだということを書いている当時の西鉄ライオンズのスポーツ紙担当記者がいました。

昭和44年の大阪遠征の際、なぜか大阪に来て試合をする際に変なプレーをして負けに繋がるようなシーンを演出する選手がいることにその記者は気付いたのです。もちろん、当の選手は普通のプレー中にエラーをしてしまったかのごとく振る舞ったのですが、毎日西鉄の試合を見ている担当記者の目はごまかせなかったのです。

当然、西鉄の首脳陣やフロントも同じくこういったプレーに疑問を持つようになります。そして球団独自に調べた結果、八百長に絡んだという事実を掴んだのです。プロ野球界の野球賭博には、現役のプロ選手が巻き込まれるといった特徴がこの当時からあったのです。