野球賭博問題

プロ野球界を震撼させた野球賭博事件の経緯

野球賭博事件

黒い霧事件は、1969年から1971年にかけてプロ野球界で明るみに出た八百長事件と、関連する一連の疑惑のことで、世間を震撼させた事件です。

経緯は1969年、西鉄ライオンズが助っ人外人のカールボレスから、チームメイトの敗退行為の噂を耳にしたことに起因します。西鉄ライオンズがチーム内で調査を実施したところ、永易投手が八百長に加担していることが判明、球団は永易投手を解雇とし、コミッショナーは永久追放の処分を下しました。

また、同時期に読売ジャイアンツの藤田元司の義兄の会社が、暴力団と交流があったとされるなどスキャンダルが相次いだため、国会でも取り上げられるようになります。 1970年4月、永易投手の口から加担者が複数存在することが発覚、後日、野球賭博に加担したとして西鉄ライオンズの池永投手、与田投手、益田投手、東映の森安投手が永久追放処分となったほか、オートレースの八百長に参加したとして、中日の小川投手が永久追放処分となりました。

最終的な処分者は19名に上り、西鉄ライオンズは弱体化によって身売り問題にまで発展するなど、プロ野球界に大きな傷痕を残す事件となりました。